8/7に何周目かのお誕生日を迎えました、山田です。おめでとうございました、ありがとうございました。そんなぼんやり生きている私ですが、誕生日前はなぜかいつも情緒が不安定になります。
そこで、ここ最近は事前にツイッターで「お祝いして」と全方位へお願いをしていたのですが、今年は一歩進めて強欲に「私の好きなところを添えてお祝いしてほしい」と頼んでみました。
結果、ものすごく嬉しいリプ、初めてのリプでのお祝いなどがたくさん届き、強欲に言ってみて良かった〜〜〜😂と嬉しさを噛み締めているところです。
趣味のSNSでお祝いしてもらって生きてて良かったなぁくらいの幸福感を得られるのはすごいなって思うし、逆に手を打たないとなぜこんなに誕生日前は不安になってしまうのか…それをちょっと考えたので、以下、つらつらと。
ここからは特にコスプレには関係のない、ただのよくある繊細さんエッセイになります。
誕生日前に不安になる理由
まず、誕生日前になると毎年情緒不安定(て言うと大げさですけども)になる理由はなんだろう。「祝われるべき日」という強迫観念と、「なのに祝われないまま終わるかも」という不安のせいだと私は考えました。
祝われるべきという強迫観念
誕生日はめでたい日です。生まれて何度目であろうとも無事にキリの良い日まで生きているというのは、状況がめまぐるしく変わるこの2021は特にめちゃくちゃラッキーなこと。死んでたら祝えないし、病に臥せってたらそれどころじゃないので。生きて周年を祝うって、当たり前みたいだけど、まぁけっこうスゴイことのはずなんですよ。
…なので、話はちょっとそれるけど、そもそも歳をとるのが嫌というのが個人的にはちょっとよくわからなかったりします。老化が嫌なのはまぁわかるけど、実際のところは日に日に老化は進むので誕生日を迎えることとそれは関係ないですからね。誕生日来るのが嫌〜とか、祝われると嫌になっちゃうとか、全然わかんなくていつもびっくりしてしまう…自分としては、今年も無事に破産もせず生きてて良かったぁ〜以外の感想がないので…
閑話休題。だからこそ、逆に「祝われるべき」という強い刷り込みがある気がします。気にしない人はまったく気にならない話でしょうが、ちょっと心が繊細だとその刷り込み、呪いのように肩にズシリとのしかかりませんか…私はけっこうズッシリきていました。
祝われるべき日、そんな日に祝われないとなると、それが良くないことのように思い込んでしまう。そういうタイプは、いつの間にか誕生日が「祝われないといけない日」「祝われなかったら不合格」「祝われないなら愛されていない」「愛されていない人間には価値がない」という方向にどんどん思い込みが大きく膨らみ転がって、誕生日が近づくごとに憂鬱になっちゃうんですよね。人のよるのでこれはちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、モヤモヤする人の内心はおおむねこんな感じだと思います。
情緒が不安定になる時って、自分が他から必要とされているのか不安になる時だと思うんです。本当は他人からの評価とかは気にしなくて良くて、元気に生きてるだけで全人類に全然価値あるんですけど(正しくは元気じゃなくたって死んだ後だって価値ある存在ですが)。
誕生日=祝われる日という公式ルールが守れなかったら人間失格な気がする、という刷り込みと強迫観念。これが誕生日前になんだか落ち着かないしちょっと嫌な気持ちになる理由だと思います。
誕生日当日、祝われないまま終わるかもしれない不安
小さい頃に誕生会なんかをしていると、大人になってから祝われるべき日に自分が存在しないかのように扱われてしまうことって、けっこう怖いんです。当日に誰からも言及されず、暇でぼんやり寂しくしてしまうよりは、いっそ仕事をいっぱい入れてしまいたいなんて思っちゃう人も多いと思います。
最近はだいぶ変わったとはいえ、誕生日、クリスマス、「誰かと一緒に楽しく過ごす」ことを良しとされる日に「ぼっち」なのは「可哀想」という刷り込みはやっぱりどこかにある気がします。せっかくめでたい日なのに「可哀想」なのは悲しすぎるっていうのは、くだらないこととわかっていてもついそう思ってしまいますよね。(まったく可哀想でもなんでもないから、ほんとに全然無意味なんですけどね…)
祝われないといけないという強迫観念から生まれる、祝われないまま終わるかもという不安、こいつです。こいつが怖いんです。
誕生日前の不安は「お祝い乞食」で解消する
何もせず静かにしていると誰も祝ってくれないかもって不安になっちゃう。
かと言ってお祝いしてよってせびって祝われてもそれって「本当」じゃない感じがする…という方、多くないですか? お祝いって周りがする行為なのに、他人に自分から頼まないといけないなんて、恥ずかしい…。でもそう思う必要もないな、と私は考えています。
「お祝い乞食」は恥ずかしくない
以前は実は私もそう思ってたんですが、最近はSNSならお祝い乞食もいいなと思うようになりました。なぜなら、SNSの情報の渦の中で一個人の誕生日ですアピなんて些細な情報だし、リアルでお祝い乞食したら相手は無視できないから困っちゃうけど、SNSでは気づかないふりができるからです。
会社だったりリアルな場で「来週お誕生日なんですよ〜お祝いしてください!」なんて言ったら、プレゼントの強要に感じられちゃうじゃないですか。無視したらちょっと角が立つから特に仲良くもないのに無理やり適当なプレゼント用意しなきゃいけない空気になっちゃうというか。
でも、SNSだったらその該当ツイートに気づかない人だってたくさんいるわけだから、面倒だなとか祝いたくないなって思ったら気付いてないフリするだけでいいわけです。相手への強要は生まれません。
実際ほとんどのフォロワーさんに会えないんだし、だからこそ本当に求めているのは140文字以内の言葉だけってわかります(まぁ最近はギフティとかあるから、こんな場合でも気を使わせる可能性があるんだけど…またそれは別の話として)。そこに「図々しい」と思う方こそちょっと心が狭いわけだし、それを気恥ずかしいな…なんて思う必要はないよねって私は思っています。
乞われて送られるリプなんて価値ない…という意見もあると思います。でも、たとえ自分からクレクレしたんだとしても、たくさんフォローしてる人がいる中からその日その時間にぽちぽちとオメデトウと文字を打って送信する、その手間を惜しまないで祝ってくれる気持ちは、素直に受け取って良いものではないでしょうか。上記の通り、SNSにおいては本気で面倒だったらその日その時にお祝いリプなんて飛ばさないので…
お願いに応えてくれたのが1人だったとしても、その1人が自分のためにちゃんとリプを送ってくれてるって事実はめちゃくちゃ大事です。0か1かは雲泥の差ですよ。「誰も覚えてないかも」「特に必要とされてないかも」という不安はその1人に救われます。救われてきた私が言うので間違いないです。
祝われたいなら動くしかない
普通にしてたら普通にただ穏やかに静かに終わる誕生日。周りになーんにも言わないで過ごしたら家族や幼馴染以外からは誰も何もないであろう日。SNSだって、自分から何もアピールしなければ祝福一色で染まるのはなかなか難しいのではないでしょうか。
もちろん日頃からお友達とSNSで密な交流をしている人は何もしなくてもお祝いが集まると思いますが、まぁ皆がそうじゃないよね…私もコミュ障壁打ちSNS傾向が強いので、ちょっとその方向性では無理がある。
そういう人が、皆に「今日まで生きてておめでとう、好きだよ」て言われたいならば。
人にしてほしいことは頭を下げてお願いして叶えていただくしかない。
だから、私は自分の気持ちが不安定になるなというのを自覚してからは、周りに「お祝いしてください」とお願いして当日幸せをもらう解決法を選びました。伝えてみると簡単な話で、受け手側も気軽に、私の方でも嬉しく、お祝いのやりとりを交わせて、誕生日を明るく軽い気持ちで過ごせるようになりました。イエイ。
これとは反対に、身内にだけしっかり伝えておいて、当日は絶対に心を通わせたい信頼できる人たちとだけお祝いをして、あとは普段通りの顔で過ごすっていうのもめちゃくちゃアリだと思います。実際、心の充足度で言えばそっちの方が高いかも。ただ、私の場合は趣味人だからSNSでのお友達の方が多いし、意地はってなんだか寂しい気持ちを味わうより、一言お願いするっていう勇気を出すことで当日ちょっとでも元気になれる方がいいじゃん!! と思っての選択です。
どういう風にしたいかは自分で選べるので、誕生日に祝われたいと思ったら、結局望みを誰かに伝えておく必要はあるんだなって思います。私のような、ごく普通の人ならば。
「誕生日」は特別だけど特別じゃない
生まれたその日というだけで、こんなに心がさざめいてしまう…なんだかんだでお誕生日って当事者にとっては特別な日。今までは不安なまま迎えていた当日も、お祝い乞食することで誰にも祝われない透明なお誕生日様化は避けられました。おめでとうございます。ありがとうございます。繰り返しになってすみません、私のことです。
さて、お祝いリプをもらったらもらったで、くれなかったあの人のこと、ちょっと気になったりしませんか。TLにはいるっぽい…? 見てない? 無視してる? 私はお祝いしてあげたのにな? そんなことがあると、嬉しい気持ちの中にもやもやが生まれることもあるかと思います。
でも、こんな日は考え過ぎはいけないんです。だって、自分以外の誕生日ってどうでしょう。家族や毎日のように会う人のように近い存在以外の誕生日って「そういえば」なイベントに過ぎなくないですか?
私はまじで記念日とか覚えるのが苦手なので(すみません…ほんとに…覚えられない…)、家族以外の誕生日ってほぼ覚えられなくて、なんなら家族の年齢や誕生日も忘れがちなくらいなので、わりと仲良くさせてもらってるお友達に対しても毎回SNSで気がついて後からプレゼントを渡したり、滑り込みでお祝いリプをしたりしています。さらに言えば、今年気づかないまま終わってしまった友達もそういえばたくさんいると思います。でもそれはわざとじゃないし、相手への好意の度合いとそれは一切関係がないことなんですよね。
自分がそういう人間なのをわかっているので、忘れることもある反面、気付いた時にはその場でリプを送るようにもしています。忘れちゃうからね、お誕生日だ〜めでたいねぇ〜! て思ったらその場でリプかLINE飛ばすのが一番。それを逃すとうっかり見落としたまままた来年…てなっちゃうんですけども…😂
それはきっと私の友達だって同じで、たとえ祝ってくれなくてもわざとじゃないし、まじで忘れてるというか知らないだけなことがほとんどだと思っています。もちろん面倒だったり思うところがあって流してる人もいるでしょうが、そんな思い当たるフシがある人以外はまぁ9割気付いてないから祝ってないだけでしょう。少なくとも自分はそう。
お誕生日って自分には特別だし、他人には言うほど特別じゃない日です。実際、誕生日じゃなくたって、基本的にはなんだって自分ごと以外は人はうっかり忘れちゃうものです。だからあの人、この人から当日お祝いされていなくても気に病むのもバカバカしい話。
人には忘れて当然くらいのできごと、でも自分には大事な日。それが誕生日なので、しっかり祝ってくれる人の方がむしろすごい、有り難い存在ってことです。
「誕生日クライシス」というのもある
ちなみに。誕生日には不安とかそういうレベルを越えて、実際に悪いことが起こるから嫌という人も多いそうです。それには名前もついていて「誕生日クライシス」、またはバースデーブルーとも言うそう。
こちらはちょっとスピリチュアル系の話題みたいなんですが、要約すると誕生日一ヶ月前後、特に2週間前くらいから以下の現象が起こりやすいと言われています。
- 情緒不安定で落ち込みがちに
- 体調が悪くなる
- なんだかやたら眠い
…それは…生理前では……? いや、さらに新月満月前後にも同じような感じになる人が多いそうな。ほぅ。
一応、占い的には生まれ変わるタイミングとかで内面と向き合い、感情の振れ幅が大きくなり、普段感情を抑圧しているほど振れ幅が大きく不安定になる…んだそう。ふーむ、なるほど。どちらにせよ、自分の存在意義とかに向き合ってついつい内に向いてしまいがち、ということですね。
誕生日前に不安を感じる理由とその対策
結局、楽しみなだけに不安が急にくるものって、誕生日以外にもマリッジブルーとか、旅行前に急にやる気がなくなって行きたくなくなるトラベルブルーとか、その手の話って調べるといろいろあるんですよね。楽しみな気持ちに反比例してなぜかやる気がなくなったり嫌になったりしちゃう。
これはホメオスタシス(恒常性)の働きとも言われてるそうで、自分の秩序や安定を保つ機能が働いて、何か新しい環境や行動への反発というか、やっぱヤダな〜なんかヤダな〜という気持ちになる傾向があるんだそう。
なので、新しい歳を迎えようとする誕生日前に不安定になるのは意外と普通のことであり、不安の理由は人それぞれだけど上記のように考えられるので打てる対策はしておけばいいということを、今年は真面目に考えました。モヤモヤとした感情は、言葉にして頭の中に入れておくと、なんだかそれだけで安心できるので。
このブログも気付いたらのんびりペースになっておりますが、またぼちぼち更新していく予定です。新しい歳も改めてよろしくお願いいたします!
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